石川亮二先生
【プロフィール】
昭和37年教員となり東京私立高校に赴任。その後、昭和40年に愛知県に戻り津島高校に転任。豊丘高校へは国語教諭として昭和47~61年と平成3~11年の2度、合計22年間在職。平成11年に退職され、現在自宅にて詩の執筆を行う。
質問:先生の現在の状況をお聞かせ下さい。
石川先生:教師としての仕事からは引退しましたが、別のものに重点が移りました。しかしそれは以前から継続してやっていたことなので、根本的な変化はありません。詩やエッセイを書<ことや、本を読むことには終わりはありません。ただ時間的な余裕ができましたので、退職した同年ぐらいの人たち4~5人で読書会をやっています。「若いときに文学全集など買ってはみたが、ほとんど読まずに過ぎてしまった。何か読んでみたい」という人がいて、「それじゃ読書会をしましょう」ということになり、もう4年ぐらいつづいています。いまのところ鷗外、漱石、芥川などを取り上げています。
質問:その読書会とは、どの様に進めるのですか?
石川先生:たとえば漱石の「草枕」(一部)や、芥川の「羅生門」なんか、私たちの高校生の頃から教科書に出ていましたが、改めて読んでみると、いろんな新発見があります。それは私たちが年齢を重ね、人生のいろんな局面を通って、経験の蓄積あるからだと思います。
かたくるしい話ばかりしているわけではありません。鷗外や漱石のときは「文学散歩」なども取り入れ、食事したり、雑談したり、歩いたりして楽しくやりました。気のあった人たちとの交流も、何かを媒介にすると長つづきします。そして近代文学をとおして、明治・大正・昭和とそれぞれの時代を生きてきた人びとの姿を知ることは、とても大事なことだと思います。
詩や小説を書いてみたい
質問:先生が文学に目覚めたのはどのような事があったのですか?
石川先生:16歳のとき、高校の図書館で梶井基次郎の小説集「城のある町にて」を読んで、たちまち「文学少年」になってしまった。当時、豊橋東高校には小説を書いていた英語の井澤純先生(後に文部省・教科調査官)や、やはり詩を書いていた岩崎宗治先生(後に名大教授・英文学)がいました。また国語の太田鴻村先生は俳人として中央の俳壇で有名な方でした。こうした先生方から文芸部の活動や、図書館などで、知らず知らずのうちに文学の手ほどき
を受けていました。今思えばぜいたくの限りだったのです。
そのうちに私も、みようみまねで詩や小説ごときものをつくるようになり、それを文芸部の雑誌に載せていました。
活字で自分の世界を表現することが、とても魅力的なものだと知りました。
質問:先生が職業として教師を選んだ理由をお聞かせ下さい。
石川先生:両親は小学校の先生でした。ただし母は結婚するまでの8年間。その影響があったかもしれませんが、何よりも休みがたくさんあって、自分の好きなことができそうに思いました。大学では国文科に進み、近代文学(詩)を専攻しました。講義は古代(奈良・平安)、中世(鎌倉・室町)のものが多くあり、目まぐるしく変転した中世の時代の文学に関心がありました。
質問:大学時代の様子をお聞かせ下さい。
石川先生:私が学生の頃は、敗戦からの復興が15年ほどで一段落し、「戦後社会」が大きく転換していく時代でした。私たちはいわゆる「60年安保世代」です。その10年後が「全共闘世代」になります。この70年代もまた、戦後の地殻変動の激しかった時代でした。
学生の数が増え、大学の大衆化が急速に始まっていました。それでもまだ、私たちの頃は大学・短大への進学率は同世代の4割に満たなかったと記憶しいてます。大学生になってからは、小説は太宰治のもの、近代詩人では萩原朔太郎や中原中也をよく読みました。また「戦後の詩」や「現代詩」に惹かれ、その関連で「文芸評論」や「詩論」にも関心を持ちました。「安保のデモ」にもいつも出かけていました。詩は書きつづけようと思っていましたが、小説はやめてしまいました。これは自分の向き不向き、自分が求めているものが、はっきりしてきたのかも知れません。
読書体験のすすめ
質問:それでは教員時代のお話を聞かせて下さい。ここからは、17回生の中村さんにも同席して頂きます。
中村さん:図書室で先生はこれを読めと勧めるのではなく、何でも良いから好きなものを読めって言われていました。
石川先生:そんなこともありましたね。図書館の係りは比較的長くしました。他には新聞部や文芸部の顧問をしていました。ともかく図書館が、宿題や受験問題をするだけの場所ではなく、本を読むことの楽しみ知る場所になってほしいと思っていました。私は強制的にあれこれせよと言うふうな「教師」にはなりたくない、といつも自戒していました。まして読書などは読む人の精神の自由さがなければなりません。それは試行錯誤のなかから、自分で見つけ出すしかありません。強制されたり、指示ばかりを求めていたのでは長つづきしません。
中村さん:私は先生の授業を受けた事がないけど、楽譜のコピーをしに行ったのかしら、本の好きだった同級生がいて先生とワイワイ話していたのを覗いたら「お前も入れ」と言われて入った記憶があります。
読書会のメンバーは女子5、6人(ヤスヨ、リュウアン、ナオコ、ナッコ、バーチャン、・・・)ぐらいと、男子2人がいました。漱石を取り上げて読んでいて、図書館だよりに感想を書いたりしていました。そう言えば先生、都合のつくメンバーで鳳来寺山に、先生の子供を二人連れて弁当持って登りに行った事がありましたよね。
石川先生:そうそう、遠足みたいなこともしてね。大学時代の友人が、長野・戸隠で民宿をやっていたものだから、いつか機会があったら行こうなどと言っていましたが、これは実現しませんでした。豊丘に来る前の学校では、ワンゲル部の顧問もしていましたので、14、5人の部員を戸隠へ連れて行ったことがありました。生徒はキャンプ場のテントで、顧問たちは民宿で泊りましたが……(笑)。
学校群制度になってからは、一段と受験競争が学校全体の課題となってきました。大学入試も「共通一次」(センター試験の前身)が導入され、その後で各大学で二次試験(記述)をするようになりました。その頃から受験生の個性的な能力を評価する一環として、資料や文章や課題を提示して小論文を書かせる(理系も文系も)ところが増えてきました。専門性のある論述が要求されるようになり、そのために「岩波新書」などを借りに来る生徒や、何をどう読んだらいいか相談に来る生徒も増え、別な意味での図書館の役割りが求められました。
生きる力をつけてほしい
質問:教師として生徒に伝えたかったメッセージはありましたか?
石川先生:私は教師になったときから、退職するまで「普通の教員」でいようと決めていました。そうした姿勢が影響したかどうかわかりませんが、生徒のみなさんとは、普段わりと気楽に接することができました。卒業してからもいろんな相談に来てくれる人もいます。
大それたメッセージはありませんが、一言で言えば「生きる力(意志や能力)」を高校時代につくってほしいと願っていました。それは「柔軟でしかも強い生き方」のことかもしれません。まあ、なんとなく私の生き方のスタイルを見て参考にしてもらえばいいかな、とも思っていました(笑)。
質問:先生の執筆活動に付いてお聞かせ下さい?
石川先生:詩を書くことは楽しみでもありますが、表現しようと思うことと、出来上がったものの間にはいつも隔たりがあって、これでいいと思ったことは一度もありません。詩集は三冊つくりました。若い時からのをまとめた『仮幻沼(かげんぬま)』(91年)、『水に散る日々』(99年)、『深夜の食卓』(02年)です。
私の詩は「具体的な『体験』の水準で把握される対象と、主体が定位しようとする詩的言語の場が交錯するところに、きらめくような詩的時空間が立ち上がる」(『現代詩手帖』「詩書月評」99.8)と批評されました。これはよく読んでくれた上での批評だったと、いまでも思ってい
ます。
もうーつ、フランス語を自分でぼつぼつ勉強して、ランボーの詩集『イリュミナシオン』(04年、私家版)の翻訳をしました。ランボーの詩は高校生の時から親しんでいました。辞書と英訳本をたよりにやってみましたが、これは結構骨が折れました。でも、異言語とぶつかって日本語を考え直す、という経験をしました。
質問:先生のこれからの目標を聞かせて下さい。
石川先生:これは2、3年前から準備していますが、新しい詩集を出します。詩集名は『遠ざかる朝』にしようか、『夏の果て』にしようか迷っているところです。それとエッセイ集も一冊つくることにしています。こちらは100枚ほど原稿が出来ています。あと150枚ぐらい書き足そうと考えています。
それと健康でいることと、ボケないようにしたいですね(笑)。今日はありがとうございました。卒業生のみなさんも、幸せで充実した人生をすごして下さい。
水仙「月夜の道」
あの坂の上までと夢に誘われ
月夜の道を急ぐ
一筋の愁いのようなものをかきわけ
迷妄の棘をたしかに飛び越え
しゅん巡する闇の底をくぐると
そこはほの明るい水仙の咲き乱れる
仮象の器に沈む透明な淵
それにしてもあっけなく
どうしてたどり着いたのか
振り返れば常夜燈一つぼんやりと灯り
坂は途中から消えていた
先生の詩集とエッセイ集が出来上がるのを楽しみにしています。お体に気をつけてお過ごし下さい。17回生の中村さん取材協力ありがとうございました。(広報委員:17回生加藤)
こんばんは。何気に懐かしい高校の検索をしていたら石川先生の記事がありましたので、ちょっとうれしくなりました。先生覚えてくれていますか?古典は大好きでしたがそれ以上に石川先生が好きでした。私は13期生かな?英語の小川先生や、鈴木先生お元気でしょうか?高校生やその保護者に反響のあった小説です。よろしかったら母校でもお役に立てたら・・と思います。「誰か僕に気がついて」→http://no-ichigo.jp/read/book/book_id/168331
投稿: 金場祥江(旧姓) | 2011年9月21日 (水) 23:32