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鶴橋減滅渡さん(今村敬さん・15回生)

落語家

Imamura01

【プロフィール】
舞台美術(大道具)の仕事の傍ら、落語家として天狗連月例会(あんくる とむ寄席)、大黒屋寄席、豊川門前寄席などに出演。その他各種イベント 司会や営業など年間80~100席をこなす。持ちネタは延陽伯、青菜、ち りとてちん、時うどん、ほか40あまり。

【子供時代】
生まれは名古屋です。物心つく前の1歳で豊橋へ引っ越してきました。父親が市民病院の勤務医や ったので、東田小校区の官舎をあっちに行ってはこっちへ行ってで何度か引っ越しました。 僕は4月2日生まれなので、小学校では出席番号は常に一番でしたね。高校の時に父が牛川で開業し、 落ちつきました。医者を継ごうという気はなかったなあ。父親は開業医の前は長く勤務医やったしね。

【豊丘高校へ】
中学のときに草野球をやってまして、その仲間建と一緒に東高校の野球部に行こうって話になって、 2群を受けたんですが、僕だけ豊丘になっちゃった。仲間たちはみんな東。あの頃は選べなかったか らね。

【演劇部へ】
当時の豊丘の野球部はあまり強くなくって、どうしても入部する気になれずに、どないしようかと。 実は僕が入る前の年まで落語クラブみたいなのがあったらしいのやけど、なぜか無くなってた。僕は 小学校の時から落語を聞いていて、中学の時にはネタを幾つか覚えてたんですね。 そうこうしているうちに、仲のよかった友達が演劇部に入りたいって、でも一人では嫌だから一緒に 入ってくれって言うので演劇部に入りました。演劇部の当時の部室は工事後のプレハブで運動部のク ラブハウスからも少し離れてて、独立しててね。 演劇部の先輩は女性ばかりで、自然と僕らは大道具を任されたわけです。それで今に至っています。 3年で部長をやりました。 ちなみに鶴橋減滅渡という名前は落語ではなく、芝居で付けた名前なんですね。

【高校卒業後】
高校を卒業して、すぐに舞台美術の仕事に就きました。豊橋落語天狗連に入ったのは21歳の時です。 当時、僕は上方落語と江戸落語の両刀使いで、25歳の時に上方落語をちゃんとしたいと思い大阪へ 行ったんです。笑福亭仁鶴師匠を昔の梅田花月の楽屋横のトイレで捕まえて、「弟子にしてください」 って。師匠は驚かれたものの、そういうことは小便してる時に言うもんやない。明日、朝日放送でラ ジオ番組の収録があるからそこに来なさいと言っていただいたので行ってみたら、収録が休みの日や った。あれだけの人になると自分では全然スケジュールを把握してないんですな。それからいろいろ あったんやけど、案外すんなり弟子になれました。普通はそんなに簡単になれるもんやない、お前は ラッキーやと兄弟子には言われましたね。 それから付き人をしながらの修行が始まったわけです。と言っても落語の修行はほとんど無かった。 芸をつけてもらったのは三回くらいやないかな。師匠にお供して高座を沢山見て勉強したけど、漫才 のほうがよく見たなあ。笑福亭はほとんどが松竹芸能なんやけど、師匠は吉本興業やった。阪神巨人 師匠や大介花子師匠とはよく楽屋がいっしょになったし、やすきよ師匠も林正之助会長もかろうじて 健在だったからね。凄い時代やったね。

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【豊橋に戻って】
大阪では、住み込みではなく通い弟子だったので、収入 的には厳しかった。それまでの貯金を取り崩して生活し ていましたね。 なんやかんやで平成元年に豊橋に戻り、豊橋落語天狗連 に復帰。舞台の仕事をしながら、少しずつ司会や落語の 仕事が増えて行きました。ヤマサ夏まつりの司会なんか は、第1回からやから、もう20年近くやってる。年間 80~100席といってもかなりムラがあって大変。ほと んど高座がない月もあれば、ダブルヘッダー、トリプル ヘッダーが続いたりしてね。あ、結婚を3回したことは 書かんでええから。

【同窓生について】
最近は中学、高校の同級生と集まる機会が増えましたね。25周年の幹事をやってからは特にね。豊丘 では3年2組で、文系だったので男が少なかった。だからどうしても固まって、変に仲良くなっちゃ って。 惣平(15回生の黒川さん)とは一度も同じクラスになったことはなかったし、当時は話す機会もなか ったけど、芝居でよく見かけたりして、よく知ってました。大阪から帰ってくる前に三愛寄席で一緒 に舞台に上がったこともあるんです。

【最後に現役生に一言】
えー、鶴橋減滅渡です。社会に出たら仕事で呼んでください。

【取材を終えて】
お話しを伺ったのは石巻の公民館での高座の後。平日の昼間でしたがご年配の方々を中心に賑わい、 その人気のほどには(失礼ながら)少々驚きました。ここには書きたくても書けないような話もたく さん伺え、また、フザけているようで常に真摯に何ごとにも向き合うプロの姿勢と矜持を感じること ができた、内容の濃いインタビューでした。今後ますますのご活躍を心から祈念する次第です。
                                          19回生 加藤




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