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富安秀行さん(9回生)

ミュージシャン

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【プロフィール】
ジャンルにとらわれず、オリジナルや和洋カバーをどこでも歌う シンガーソング・ボードビリアン。1978年にポップスバンド 「ライムライトキャンキャン」でCBSソニーよりデビュー。 CMソング、タレント等のコーラス活動等を経て、現在は日本全国 でユニット&ソロライブ活動中。

【子供のころ、音楽との出会い】
旧東海道、今の新本町に生まれ、小学校は松葉小、中学は豊城中。子供の頃は割と大人しかったで すね。 小学校3年か4年の頃にクラスの劇の脚本と監督を先生から任されて、そのとき何かを表現する楽 しさに目覚めました。小学校6年のときに加山雄三に憧れてウクレレを買ってもらって練習してい たらギターが欲しくなり、中1でフォークギターを買いました。エレキが欲しかったけど、親が許 してくれなかった。不良になるからダメだって(笑)。 ちょうどラジオの深夜放送がブームになり、まさにフォークソングが生まれたころ。「帰ってきた ヨッパライ」とか。中学の予餞会で初めてステージに立ちました。歌ったのはタイガース「花の首 飾り」。

【楽しかった豊丘高校時代】
まだ学校群になる前で南高校もまだなかった時代、豊丘はうちから一番遠い高校だった。一応無事 に3年間過ごしましたよ。 音楽は同級生とじゃなく、大学生や社会人と一緒にやっていました。高校1年のときにできた「ア ンクルトム」に入り浸り、人生が狂ったね。高校ではバンドを組んでなかったけど、高校2年の予 餞会で友達3人とコミックバンドをやった。それが唯一かな。僕の髪が~肩まで伸びて~♪って時 代。ロン毛の奴がいっぱいいたなあ。部活はバレーを1年だけ。それからは一刻も早く家に帰って アンクルトムへという毎日。学校は楽しかったけど、音楽をする場所ではないと思ってた。友達と 悪いことして遊ぶ場所(笑)。 校風は自由でしたね。赤い鳥やビリーバンバンが来たのを覚えてるなあ。あと、ムーンサルトの塚 本選手が来て、体育館で鉄棒やってくれたっけ。黒柳先生のツテだったのかな? 札幌オリンピックがあったのも高校の時。ジャネット・リンとか日の丸飛行隊とか。就学旅行で宮 島に行ったなあ。

【東京でプロミュージシャンを目指す】
とにかく東京で音楽がしたくて、獨協大学へ進学しました。それから30歳くらいまではずっと音楽 漬け。そのころはボーカルの仕事を結構やりました。コマーシャルソングとか、タレントのバックコ ーラスとか。まだ7時から11時までの頃の「♪セブンイレブン~いい気分~」とか、リポビタンDのCMソングが一番売れたかなあ。音楽で飯を食いたいって夢を見てた。有名になりたいって。いま 思えば音楽をやるというより浮足だってたね。 東京の派手な生活に慣れちゃって、バイトをしながらライブをしながら遊びまくるという生活。そう してるうちに体を壊したりして、29歳で豊橋に戻りました。

【豊橋に戻ってグラフティを開店】
アートショップ・グラフティを始めたのが31歳のとき。つつじヶ丘のカントリービレッジのなかに あった絵を売る店ね。僕の実家は額縁屋で、子供のころから絵や掛け軸が身近にあったんです。音楽 しかやったことのない僕にできる仕事はそれしか思いつかなかった。自分で絵を描くわけではないん だけど。 なんとか店も順調にいって、いろいろな人に出会えた時代でした。豊橋落語天狗連もそうだし、建築 家や写真家とか面白い人たちとの交流ができ、そのうち市の吉田城夏祭りとかのプロデュースみたい な仕事もくるようになった。つつじヶ丘小学校や中央高校の校歌とか、歌や絵も含めて今までやって きたことが形になった時期でした。40歳前後の頃ですね。

【ツアーミュージシャンとして再出発】
グラフティは17年やったかな。45歳でソロアルバムを作り、グラフティをやりながら外に歌いに行 くようになったんです。そのうち、もう音楽だけをやっていたくなって絵の仕事を少しづつ減らしな がら、音楽に力をいれつつって感じで。48歳を過ぎた頃に「これはいけるぞ」と思えるようになり、 店を閉めてツアーミュージシャンになりました。 中学や高校のときは純粋に歌を歌いたい、それで食べていきたいと思ってのに、東京に行ってみたら、 いつのまにか歌より有名になりたいとか派手な生活をしたいというふうになっちゃったんだけど、も う一度昔の「歌を歌って生きていきたい」と純粋に思えるようになった。それが今から10年前。

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【そして今】
僕は自分を「歌う行商人」と呼んでて、どこへでも行って、歌わせてくださいって頼んで、少しづつ ファンになってもらう。商売をしてたから出来たんだろうね。商人の哲学「売り手よし、買い手よし、 世間よし」の「三方よしの精神」を大切にしています。 いつもお金がないし、いい車に乗ってるわけでもないけど、全然後悔はな いですね。今が一番楽しい。 今は北海道から九州まで年間180本くらいのライブをやってます。ルート セールスと一緒だから、歩留まり良く効率良くって考えて移動することが 大事(笑)。 今は犬山に住んでます。地元への思いはあるけど、以前ほど地元に拘らな くなったね。これからも体が動く限り歌い続けていたいですね。

【後輩たちへのメッセージ】
自分の好きなことを見つけると幸せだよ。それを生業にできるともっと幸せ。50歳を過ぎて実感して ます。焦らずにやり続けることが大事。そのうちに世のなかに認めてもらってると感じられるように なる。僕はそれが50歳くらいのときだった。 やめたら終わり。頑張ってください。

【取材を終えて】
豊橋で行われたライブイベントの合間にお話をうかがいました。参加者の平均年齢が高いイベント で懐かしのフォークソングなどで盛り上がり、なかにも涙ぐむお客さんも。 日本全国を飛び回る富安さんはいつお会いしてもパワフルです。フェイスブックでライブ情報を配 信していますので、是非チェックして機会があれば足を運んでみてください。

                                                                                          19回生 加藤

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