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佐々木啓允(ヒロマサ)さん(40回生)

Dsc02781_3【プロフィール】
高校卒業後、順天堂大学に進学。
佐々木繊維株式会社 専務取締役
一般社団法人 寿プロジェクト エロティック東三河協議会 シニアディレクター

 

【小中学校時代】

スポーツしか能の無いような少年で、クラブ活動は全部出て、サッカーはキャプテンをやらせてもらいました。

サッカーは、Jリーグが発足した年に興味を持ち、小学生の2年か3年生の時に地元クラブチームの豊橋SSに入って岩田運動公園で練習してました。TVで三浦カズやゴン中山を見て育った年代です。

中学はサッカー部が無いので、ハンドボール部に入っていました。授業後はハンドボールをやって夜はサッカーやるという、ハードな生活でした。

 

【高校時代】

今思えば、豊丘で良かったと思います。みんな楽しい仲間がちょうど集まっていたから。

勉強漬けも嫌だし、豊丘の場合は適度にスポーツも頑張り、勉強も頑張りで、良い奴らが集まっているって感じました。

部活はもちろんサッカー部、当時は浪崎先生でした。最高の成績は東三河を勝ち上がり、県大会の1回戦負けでした。

高校生活での想い出は、体育祭で燃えた事ですね。2年生の時に総合優勝し、そして3年生でも。2年生と3年生は数学の大原先生のクラスだったんです。大原先生が、3年生に上がる時に3年生も同じクラスでやらせてくれって交渉したみたいで、そのまま誰も変わらず、同じクラスメンバーだったんです。僕らのクラスは団結力があり、綱引きとか長縄を毎朝練習する、そういうクラスでした。

 

【大学に進学して】

大学は千葉県の順天堂大学スポーツ健康科学部に進学しました。体育大バリバリの所です。

高校の最後、冬休みに田原でサーフィンにハマっていたので、サーフィンができる部活は無いかな?って探してた時に、海で活動している部はライフセービング部しか無かったので入りました。サッカーはサッカーで同好会に入って、部活は2つやってました。

専攻はスポーツ医科学コースで、スポーツ生理学を学んでいました。体育大は普通文系なんですけど、理系にいながら体育大に進む事ができて良かったなって思っています。

40sasaki_02 当時、手に職をつけたいと思ったのですが、その前に「通常の営業マンというものをやってみよう!」って、ふと思ったんです。専門学校に行くのは勉強すればいけるので、まずは就活をしてみたい。落ちまくってもいいので、とにかく興味のある会社、スポーツ整形に携われる医療系のメーカー、食品関係、繊維関係など10社くらいに履歴書を出して面接を受けてみたら3社くらい受って、そのまま入社しちゃいました。

 

【社会人になって】

就職したのは、外資系の人口皮膚を販売している医療機器のメーカーでした。仕事内容は病院営業です。最初の3年が東京勤務で、その後札幌に3年、名古屋に2年、合計8年勤めました。

30歳になって、いずれは家業を継ぐんだろうなと思っていた事もあり、名古屋に転勤になって、愛知県内の様子もなんとなく判ってきていたので、そろそろ良いかなって自分も思っていたので、結婚を機に豊橋に帰って来ました。

 

【豊橋に帰ってから】

ユニフォームを着ないで仕事している方ってすごく少ないんで、製造業から農家さん、いろんな業種の方と携わるんです。色々な人と出会う中で、僕はこの豊橋市、東三河を知ら無さすぎるって思いました。この10年で物凄く変わったじゃないですか、広小路もガラッと変わり、高校時代に無かったライザップもできて、なんか雰囲気が変わったなって思いつつネットで調べてみると、こんなイベントいっぱいやってるんだとか、こんな事が今東三河でフューチャーされてるんだとか。

いろんなイベントに顔を出している中で、豊橋の農業関係者が集まっている豊橋百儂人という団体を知り、プロデューサーの清水さんがうちの会社のHPをやってもらってた方で、話に行ったら、今度こういうのをやるから来ないって言われたのが、エロティック東三河でした。

今回のイベントスタッフジャンバー、清水さんが背中に協賛企業さんのロゴを入れて作りたい、まずは、見た目が大事だという事で、おまえが担当だと言って、最初に声を掛けてくれました。そして黒地にピンクのTシャツもうちで作らせていただいて。そこからエロティック東三河との関りが始まりました。

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 【今後の活動・目標】

本業に関しては、いろんな活動をしていれば自然に付いてくるものと思っています。

今、東三河って横の繋がりでできているので、人と人が繋がれば、「あんたユニフォームやっとるの?」ってお客さんになりえますし、無理にゴリゴリ仕事仕事ってやっていると、煮詰ってしまいます。それに面白くないので、正解か不正解かは判らないですけど、まずは人と繋がってからって考えています。

街作りって言うのは大げさですけど、もっと豊橋という街を知ってもらう活動をしたい。もったいないじゃないですか、こんなに農作物が豊富に採れて、工業も栄えてて、街としても適度に栄えていて、新幹線も止まるし。ただ難しいのは、今僕の中で何をするという答えが無くて、まだまだいろいろな事を見たり経験したりしたいなと思っています。

 

【在校生に一言】

僕はやりたい事をやってきた人間なのです。色んな理由でいろんな仕事に携わる事になると思うんですけど本当にやりたい事に向かって妥協せず進んでいって欲しいって僕は思います。

やりたい事を探そうとすると、それはやりたい事ではなくなってしまう、やるべき事になってしまうと僕は思っています。趣味を探したい人っているじゃないですか、なんか趣味が欲しいだよねって言って見つけた事は長く続けられてないと思うんです。結局やりたいと思ってやっているんじゃなくて、やった方が良いと思ってやっちゃっているんですよね。

となると純粋に好きな事なのかなと思うんです、得意だとか不得意じゃなくて。単純に「やりたい」「好き」、そういう事をしていれば、勝手にやっているんじゃないかと思うんです。

「まずはやってみる!」

 

【編集後記】

今回は二周りも年の違う後輩とのインタビューとなりました。

驚かされたのが、自分に素直にやりたい事をやって来た人生が、小さな成功体験が連なって出来ているようで、見事に好循環にはまってるように感じた。サッカーにしてもライフセービングにしても、一つの(やりたい事)事をずっと続けられる、また継続する苦労のかけらも見せない、それはきっとやりたい事をやり楽しんでいるからだろうと思う。

今後も豊丘高校同窓生から佐々木さんに続き、地元を愛し発展を目指す若者が育ち、同窓生の絆で力を合わせて活躍する姿が見られる時が来るのを心待ちにしています。もちろん、その時は喜んで協力をさせていただきます。

 

広報委員会 17回生 加藤 卓宏