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都築昌浩(まさひろ)さん(31回生)

【プロフィール】

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高校卒業後、立正大学(仏教学部)に進学し僧侶の道を目指す。
大学卒業後、仏門に入り、結婚を機に富山県富山市にある本陽寺(ほんようじ)の住職となる。
現在、僧侶として仏の教えを人々に伝えながら、檀家宅でのお経、年忌法要、通夜・葬儀などを執り行っている。
 
【少年時代】
 子供の頃は、とにかく元気でやんちゃな子だったようです。未就学の頃らしいですが、突然いなくなったことがあり、両親がかなり慌てて探し回ったそうです。親は大変だったんじゃないかな。また、細かくは覚えてないですが、小学6年生の時、少年野球と小学校運動会で団長を務めたことが思い出です。
 
【中学時代】
 中学生の頃の思い出は、入学してすぐの新入生テストが、あまりにも成績が酷くビックリ。その後、英語の教科書や歴史等、とにかく覚えて勉強を頑張ったことを覚えています。
 また、部活動の野球に一生懸命でした。1年の頃、3年の先輩が全国大会に出場した時に応援団として行ったこと。学年で20人くらい部員がいましたので背番号をもらうのがやっとで、たまに試合に出るくらいでした。でも、最後に2軍チームでスタメン出場した時はとても嬉しかった事を覚えています。

【高校時代】
 高校に進学しても、ずっと続けてきた大好きな野球部に入りました。なかなか上手くなりませんでしたが、チームメイトに支えられながら最後までがんばることができました。3年の夏では補欠だった私を、湯浅未来先生は最後代打で使ってくれて、ヒットを打つことができ、ヘタクソでしたが続けてきて良かったと思いました。先生・チームメイトに本当に感謝していて、一生の思い出になっています。

31_001s  クラスでも国語の山本早苗先生にお世話になり、みんなと仲良く本当にいいクラスだったなと思います。山本先生は厳しいところもありましたが、時に優しく我々のことをみてくれました。今でも繋がっており、一生の宝だなと思います。

 将来の夢はプロ野球選手と言っている時もありましたが、大学の話が出るころは、なんとなくお寺のことを・・・。お坊さんになることを嫌な時期もありましたが、親の背中を見て「自分もお坊さんになるんだな」と思っていました。
 
【大学時代】
 立正大学での生活は、お寺に住み込み、昼働いて夜学ぶ生活です。日中は寺務仕事、夕方から学校、土日は法事もあったので、少し大変でした。この頃にはお坊さんになると決めてました。
 我慢する(思い通りにはならない)ということ、お寺さん・檀家さん方への対応の仕方など、お寺にいるということで不自由なこともありましたが、この時に学んだ事が現在の住職生活の基礎となっており、今となっては感謝しています。
 
【富山で住職なって】
 ご縁があり結婚して富山に移った時、全く勝手がわからず大変でした。冬はとにかく寒く、雪かきをしなければなりませんし、雪道の運転や道がわからず苦労しました。今でも、奥さんや当地の方々に助けていただき何とか生活させていただいてます。
 当地に受け入れてもらえるように、檀家さんや町内の方々の要望をなるべく聞き入れるようにしました。馴染んでくれば、富山でも他県でもそんなに変わらないと思います。「今日はありがとう、また頼むね」等、声をかけてもっらたときは本当に嬉しく思います

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【今、思う事】
 特に家族というのは本当に大切だなと思います。私が留守中の来客への対応、町内への協力、行事の準備等、ここでの助け合い、理解がないとすべてのことが成り立ちません、これは仕事等にも繋がっていると思います。そして、親となった今、子供が社会に出ても恥ずかしくないように成長していくため手本となることの大変さ、そして親のありがたさを感じています。
 そして、今大切にしている「人の声に耳を傾け、困ってる人の話を少しでも聴いてあげたい。」を今後も継続していきたいと思います。
 
【在校生へのメッセージ】
 やはり人間は一人では生きていけないと思います。ご家族・仲間をそして自分自身も大切にして楽しく生きていってほしいと思います。 何事も一生懸命に❕