加藤卓宏さん(17回生)
Power of Web 代表
【プロフィール】
高校卒業後、富士電機化学㈱(現FDK)に入社。 印刷に使用されるトナー(乾式インク)の開発~製造に従事。 今後、「印刷」の時代から「映像」の時代に転換すると考え、勤続23 年で退社、個人事業として映像制作・デザイン会社を立ち上げる。
【幼き日々のこと】
●1963年(昭和38年)豊橋市向山で3人姉弟の末っ子(末っ子長男です)として生まれる。 父は建設省豊川河川事務所に勤める公務員、母は専業主婦ながら内職で洋裁をしていました。 住まいは公務員の官舎で、当時は二間と台所(今で言う2K?)の一軒家でした。
●1968年(昭和43年)不動院幼稚園入園。 印象に残っているのは、母と一緒に参加した運動会と文化会館で踊った月の砂漠?です。
●1970年(昭和45年)向山小学校入学。 父に家で勉強するように躾けられていたので、成績は良く通知表は全て「すぐれている」の評価が並 ぶ事が多かった。学級委員も何度か経験しました。運動は走るのが得意で、マラソン大会では5年生 まで毎年1位でした。でも水泳は大の苦手でクロールで息継ぎが出来ず、無呼吸で溺れそうになって 泳いでいた記憶があります。絵を描くことは好きで、街並み描写や、デザイン画が得意分野でした。 卒業文集では、将来の夢で「エンジニア」になりたいと書いていました。
【青春時代】
●1976年(昭和51年)中部中学校入学。 走る事が好きで陸上部に入部、1500mの中距離種目を目指しましたが成績が伸びず、良い活躍はでき ませんでした。中学2年生の頃から反抗期に突入、勉強を勧める父に反発、友人宅や街で遊ぶように なり成績はガタッと落ちました。3年生になり高校進学を目前にして、当初、職人でも良いかなと考 え豊橋工業高校を希望していましたが、勉強して成績が上ったので2群(東・豊丘)を受験しました。
●1979年(昭和54年)豊丘高校入学。 入学すると受験から解放された反動で、遊びまくりました。 部活はサッカー部に入りましたが、中学校からの経験者との技量の差や先輩後輩の縦社会に馴染めず 1年で退部しました。帰宅部として、下校後のバイトや禁止されていたバイクに乗ったりしていまし た。でも暴走行為はしませんでしたよ (笑)。 担任の先生(小野田先生)は親身に何度も話かけてくれましたが、その時は聞く事ができませんでし た。バイクに乗っている所も見つかり、卒業まで、免許を取り上げられた事もありました。3年生に なると数学や物理が好きだったので理系に進みましたが、大学進学には興味が無く早く家を出たい、 自分でお金を稼ぎたいと就職の道を選びました。でも、父の猛反対に合い、逃げ道として静大の夜学 を受験しました。
【社会人となって】
●1982年(昭和57年)富士電気化学株式会社入社。 会社に入社し、製造部でコピー機のトナー(粉末インク)の製造ラインで交代勤務に就きました。 仕事は楽しく、手で造る事も、改善を考えるのも、また、上司もその態度を判ってくれたのか、製造だ けではなく、品質管理・研究開発・製造技術・生産管理など広く経験を積まさせてくれました。 約1年、南多摩工場に勤務、東京の一人暮らしを経験した事もあります。自分が作った製品を使う機械 (プリンター) の開発をやらせてもらえたことは、今の仕事でカラー使用をする際の「原理」を学ぶ、 いい機会だったと思います。 「そこで大量にコピー (消費) される紙を見て、いずれ映像の時代がくる。」と感じました。 しかし、会社の業績は上がらず、2度大きなリストラを経験しました。 私は対象にはなりませんでしたが、人材の循環しない組織、また、一度の課長試験の失敗を経験し、会 社での居場所について考え出しました。 また、家庭では父は他界し、私は未婚の為、母と私の二人暮らし、母の体調も良くなかったので自宅で 出来る仕事を探す事を決め、23年働いた会社を退社しました。
●2005年(平成17年)無職~就活。 会社を退社した後、1年間は仕事の事は考えず、もう若くはないのですが好きな趣味の自転車に没頭し て、浜松の自転車チームに所属、実業団登録をして全国のレースを転戦していました。 一年が過ぎ、もう働かなくてはいけないと思い、家で出来る仕事のスキルを付けようと、名古屋で開講 しているウェブデザインの教室を受講しました。3カ月しっかり教えてくれたのでそれなりのスキルを 身に着ける事ができましたが、ハローワークの求人35歳の年令制限が有り就職の道は無いとあきらめ、 自営の道に進みました。
●2006年(平成18年)Power of Web開業。 HP(床屋、酒屋、アウトドアショップ)の無料制作から始めました。自分が幹事回生の年に5月の同 窓会総会で、和太鼓部演奏を依頼、その時、渡邉耕造先生と再会し、7月のカナダ海外文化公演のビデ オカメラ撮影を依頼されました。その後も、和太鼓部の広報担当として、全国大会や、海外遠征に毎 回同行することに...この経験がもとになり、舞台やイベントの撮影、DVD制作の仕事を始めることに なりました。また同窓会役員になり、同窓生とのつながりが広くなったことで、仕事の依頼が多くな ったと思います。
【そして今】
地域に貢献したいという思いが強くなり、ライオンズクラブに入会しま した。薬物乱用防止教室講師や、中学英語スピーチコンテスト等、若い人を応援することを始めました。地域で生かされている仕事なので、自分も何か社会に還元できれば、と思っています。
【若いみなさんに】
私は色々と脇道にそれながらやってきましたが、それが無駄なことだったとは思いません。これらの経験があって、今が一番、自分らしく生きているような気がします。 みなさんも恐れることなく色々と経験し、人生を積み上げていってほしいです。 そしていずれ、地域に貢献できる人になってください。
【製作実績】
・公演チラシ、チケット、ポスター、パンフレット、DVD製作
「劇団第五会議室」「鬼祭り(青鬼)」「バレエスタジオPlier」「 Ecole de Ballet MU」「城バレエスタジオ」 「有葵バレエアカデミー」「ええじゃないか豊橋和太鼓フェスタ」 「愛知県高等学校総合文化祭郷土芸能専門部県大会」「修文女子高校ファッションショー」 「桜丘高等学校和太鼓部」「フォークなひととき(新城市)」「大生幼児園(名古屋)」「三郷煙火」
・HP製作
「オオギヤグループ」「東三河ヤクルト販売株式会社」 「豊橋バレーボール協会」「近江の館」 「ペッツマート豊橋」「東邦機械工業株式会社」「大桜精工社」
・社内報、サービスマニュアル、調理マニュアル、映像製作
「株式会社甲羅」「太陽住宅株式会社」 「豊橋ケーブルネットワーク株式会社」
【編集後記】
今や豊丘同窓会HP、創立50周年記念など、母校の宣伝・記録に、なくてなならない存在の加藤さん。 しかし今回の取材で、意外な加藤さんの過去のお話を聞け、大変興味深かったです。 この仕事のきっかけとなった和太鼓部の記録映像は、今も学生や父兄、応援者の方のお宝になっている そう。お芝居や、その他の記録映像にも、加藤さんの優しい人柄が感じられます。 また2013年、映画監督の菅原浩志さん総指揮による、豊橋を紹介するプロモーションビデオ撮影の折、 傍らで豊太鼓の撮影風景を、記録として撮っていた加藤さん。その映像が、「貴重で秀逸」だと、菅原監督要請により、市民向けお披露目の晴れ舞台で、メイキング映像として流れました。同席した私達も大 変嬉しかったです。加藤さん、これからも地域に密着した素晴らしい活動を続けて下さいね。
14回生 すぎうらよしこ
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