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鈴木史子さん(26回生)

【プロフィール】
1991年豊丘高校を卒業、京都芸術短期大学陶芸コースに進学。大学卒後、豊川市桜ヶ丘ミュージアム内の陶芸教室に勤務。1997年陶芸作家渡邊朝子に師事。1999年開窯、同年初めての個展を開く。現在豊橋市緑ヶ丘にてAtelierKiln(アトリエキルン)を主宰、自身の制作の傍ら、陶芸教室での指導にもあたる。

【本文】
今回は陶器作家である鈴木史子さんのアトリエにおじゃましての対談です。
場所は豊橋の東、緑ヶ丘の閑静な住宅地の一角。看板があるわけでもなく、ひっそりと佇む薄緑色の建物。裏には屋根から突き出た煙突と煉瓦をまとった窯(かま)がひっそりと、でも存在感を放っていました。

質問:どの様なお子さんだったんですか?
鈴木:音楽好きでしたね、小学校の時はトランペット部に入っていました。それと平行して民間マーチングバンドにも小学校5年生の頃から入っていました。私は背が大きかったのでカラーガードを中学校2年生ぐらいまでやって、その後トランペットよりも一回り大きな楽器のバリトンをやっていました。
 そちらでの活動が盛んだったので、中学の部活は全く別の事をやろうと思ってハンドボール部に入りました。
 マーチングバンドには週に何回か通っていて、将来は警察音楽隊になりたいと本気に思っていましたね。(笑)
 ですから、将来は音大へ行くのもいいかなと思っていました。

Sakuhin2 日本の手仕事!!

質問:高校時代、芸術系への進学をどのように決めて行ったのでか?
鈴木:高校ではもちろんやきものに触れる機会は無かったですね。高校では美術も選択していなかったし、迷う事無く音楽選択でした。部活もそのままハンドボール部でしたし。だから、美術の佐久間先生も卒業して暫くしてから初めてお話をしたくらいです。
 マーチングバンドのメンバーは学校外だから回りに仲の良い年上の友達がいたんです。音大に行く子もいるけど、芸術系の学校に行く子も多くいました。その影響から私も絵を見たり何か作ったりするのが好きだったので、行けるなら私も芸術系の大学に行きたいと思って勉強を始めました。
 高校では美術も取っていないし、特に絵を描くのが得意ではなかったので、これは受験対策だけでも勉強しなきゃっと思って、絵画教室に通い始めました。私の通っていた絵画教室では「描く事を楽しむ」、「物をちゃんと見る」とか、丁寧に教えてもらえたのですごく良かったですね。それまでは、自分は絵が描けない描けないと思い込んでいて苦手意識があったのですが、そんなこと気にしなくても良いんだなって事がわかったし、受験対策とは言え楽しく通わせてもらいました。
 その頃には、芸大の中でも、絵を描く事ではなく、デザインか工芸系を勉強しようと決めていました。それは、子供の時から職人さんの仕事を見るのが好きで、テレビで陶器の職人さんがこうガーって(ろくろを回す音)作っている様子とか、日本の手仕事みたいな番組がすごく好きでした。だから工芸系、職人さん仕事が良いなと思っていました。
でも、本当に受験票を出す直前まで、ガラス・染色・陶芸・工業デザインで迷っていて、最後に「もう陶芸にしよう!」って感じで出しましたね。(笑)

本当に使える物を作りたい!

質問:陶芸に触れてみてどう感じましたか?
鈴木:陶芸に触れたのは、短大に入って初めてです。それまでは、修学旅行とか観光地で絵付け体験とか、それぐらいで、実際工程も知らないで学校に入りました。
 短大の2年間だと、そんなに出来るようになりませんよ。だいたい一通りの工程が判るくらいで、技術が完全に身につくわけではないんです。
 学校ではわりとオブジェのような立体作品を作る課題が多いんです。器の課題もあるんだけど、アーティストを養成する感じで、自分自身を表現することを教えられる事が多かったですね。私は、そこには違和感があったので、そのころから立体とかオブジェを作る事にはあまり興味がわきませんでした。本当に使えるものを作りたいと思いました。それは短大の2年で完全にはっきりしましたね。
 その中でも、自分がどのようにやって行くかは、はっきりしていなくて、いろんな技法を試す事ばかりやっていた気がします。
 卒業の頃に、もうちょっとやってみたいと思っていたら、ちょうど研究室のアルバイトの話があり、空き時間だったら研究室の設備や窯、ろくろなどを使わせてもらえるって事で、それなら良いやと思って1年働きました。学生の教材の準備したり、先生のお茶くみとかしながら空いた時間でいろいろ作ったりできました。

こんなはずじゃない~焼物をするために

質問:卒業後の陶器作家への道のりを教えて下さい?
鈴木:アルバイトも1年契約だったので、次の年には豊橋に帰ってきました。そうしたら、タイミングよく、新しく豊川市で陶芸教室が開講されるということで、アシスタントとして採用していただくことができました。でもその頃はまだ、落ち着いたら、京都に戻りたいと思っていたんです。
 何年かすると、自分がそれまでやりたいと思っていた事と、その時の状況にギャップを感じ始めて・・・。空いた時間は実習室を自由に使って良いという事になっていたのですが、それでも思うように仕事が出来ない、というよりも、やり方も判らなくって。
 当時は、粘土をどこで買うかとか材料屋さんもほとんど知らなかったから。そんな気持ちで何年かもやもやしていました。豊橋は焼物の産地でもないし、帰ってきたら情報が入ってこなくて本当にぽつんと言う感じでした。地元の友達も普通にOLさんやっていたりとか、豊橋では焼き物が出来ないのかもしれないと思っていたから、ずっと豊橋から出ようと思っていたんです。Suzukisan
 次第にいろんな現実的なことが判ってくると、多分京都に戻ったら、戻ったで情報はあっても制作する環境なんて作れないだろうなと思いました。一人暮らしで家賃払いながら窯買うお金貯めて、窯買うにも場所が必要だしっていろいろ考えたら、これはちょっと無理だなと思って。その頃は景気も良くなくて陶器屋さんで働く職も少なかったですしね。
 そこで頭を切り替えて、豊橋で制作するために動き始めました。
豊橋に帰って4年後の1997年、岡崎の渡邊さんという陶芸家にお会いする機会があり、仕事が休みの日にお手伝いしながら、そこへ通うようになりました。そこでは、仕事の進め方とか、技術的な事を教えていただくことができました。
 その頃にはようやく窯を買うお金も貯まり、ちょうどこのアトリエの場所が使えるようになったので、1999年にまずは電気窯を買って初めての個展をやりました。陶芸教室はしばらく勤めていましたが、夕方帰って来て、ここで夜中まで仕事して、朝8時半に出勤してっていうのを2年程やっていましたが、体力的に無理をしていたこともあって退職、ここで陶芸教室をやることにして、Aterier Kiln(アトリエキルン)を始めました。
 始めは個展とかがメインで一年に数回やっていました。また、陶芸展のコンペに出していたんですけれど、毎回の様に落ちて、「こりゃダメだ」と思いました。やっぱりオブジェっぽいものじゃないとなかなか目を引かないのかなとも感じましたね。
 その後同業の友人から、クラフトフェアにはショップの方が作家探しをしにきているから良いんじゃないって事を聞きさっそく応募しました。そこに出すようになった事をきっかけに、いろんなお店の人とかに目に止めてもらえる様になって、その辺からぼちぼち仕事頂けるようになったりしましたね。
 あとは人の紹介とか、ちょっとしたご縁でとか、今一番取引のあるショップは、偶然東京の知り合いの人がぶらぶら歩いていたら、そのお店が新しくオープンしてて、ふらっとはいったんですって、お店の人と「まだお店開いたばかりなんです。」って話をしてて、そうした時にふっと私の作っている器が浮かんで、勝手に営業してきてくれて、「向こうの人の反応もいいから連絡をとってみなさいよ」って言われて、連絡を取って東京に品物持って飛んで行って、そうしたら扱ってくれるようになったりして。
 そういうちょっとしたご縁でちょっとづつ広がっていっている感じです。

形で見せよう!

質問:自分流の陶器とはどのようなものですか?
鈴木:暮らしの中で使える事。全部の工程を手で触って出来るのは陶器ぐらいだと思います。染色でも布は作れても仕立てを人に出さなければいけなかったりするし、ガラスだと道具を介してじゃないとできないですよね、陶器の場合は、もちろん窯の中に手は入れられないけど、でもほとんど最初から最後まで自分でできるところが魅力です。それに陶器って値段的にも普段使いできる、特別な物じゃない所がいいです。
 私は白い器が多いですね。技法としては粉引という方法で、粘土に白い土をかけ透明の釉薬で仕上げています。私の作品はほとんどが無地で形を大切にしています。
Sakuhin  陶器ってもともと分業なんですよね、形を作る人、絵を付ける人、焼く人がいて、だけど今から何十年か前から一人で全部の工程をやる作家が出てきています。
 全部をフルパワーでやったら、追いつかないと感じて、どこかに絞ろうと思った時に、何が自分に
とって良いかなと思ったら、やっぱり絵とか装飾で見せるのではなくて、形で見せようと思いました。
 常にある程度新しいものを作っていかなきゃいけないだろうし、ぼやっとしてたらダメだと思いますよ。焼物の作家さん、ものすごくいっぱいいるから、ぼやっとしてたら技術的にも落ちて行くと思います。でも無理はしたくないのですが。
 自分が作っているものはそう奇抜なわけでもないし、変わっているわけでもないから。
 例えばお洋服屋さんで、ボタンダウンのシャツとかっていろんな新しいデザインのお洋服が出ても常にあったりするんじゃないですか。そう言う定番みたいになれたらいいなと思っています

質問:今後の目標をお聞かせ下さい?
鈴木:岡崎の渡邊先生が、私が行ってた時でも70歳くらいだったかな、小さなおばあさんなのですが、すごいでもパワーのある人で、先生を見ていて、どんな形であれ陶器をずっと作り続けたいなと思います、それだけです。
 個展はやった方が良いと思います。日々の注文だけだとルーティンワークみたいな感じなので、個展になるとちょっと見せ方や新しいネタも考える事ができますから。

鈴木さん、取材協力ありがとうございました。(広報委員:17回生加藤)

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