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井嶋真理さん(17回生)

産婦人科医師

17ijima01_4【プロフィール】
掛川市生まれ。一歳の時、豊橋へ。
豊丘高校、聖マリアンナ医学大学卒業。豊橋市民病院で研修
袋井市民Hp、名大Hp、袋井市民Hに戻った後、浜松医大へトラバーユ
その後、袋井・掛川の病院合併計画の為、掛川市民Hへ
現在、豊橋市平川本町で井嶋産婦人科を開業

【幼き日々のこと】
昭和39年、掛川市に井嶋家のひとり娘として生まれ、1歳の時、父の仕事で豊橋に引っ越して来ました。5歳からは東田幼稚園、子供の頃は、近所の子たちと塀から隣の家に飛び降りたり、屋根に上ったり木に登って遊んだりしていました。草花や虫、メダカを捕まえたり、カナヘビをつかまえて、リードの代わりに毛糸で縛って引き出しに入れて飼っていたら、逃げ出して怒られた覚えがあります。
生涯において勉強が好きだった時期はないけれど、小学校1年の時が、一番勉したかなぁ、、、母や先生に家に帰ったら予習復習をしなさいと言われた事を、忠実に守っていたんだと思います。でも二年生には色々分かり始め、遊び倒していましたね。

【中学の頃】
手芸や生き物の飼育、版画や洋裁など、ぱっと見て面白そうだと思うと、やってみましたね、本はとにかく読みまくりました。ジャンルはバラバラで統一感がないので、我が家の本棚を見た人からびっくりされました。

【高校時代】
高校二年生の時に父が開業するのが決まっていたので、近場の豊丘か東高校のどちらかに行ける二群に決めました。
母が入院患者さんの食事を作っていたので、家族の食事は私が作っていましたね。お弁当も自分で作りましたよ。授業が終わると、帰りにサンヨネに寄って、そこで晩御飯何にしようかな、って考えてましたね。お盆休みなどは、入院患者さんの配膳やお掃除もしましたね。当時はそれが人と違ってもいやじゃなかった。何でもやってみたい人だったから、それなりに楽しめたっていうか、物作りも好きだし、お勉強以外は、何やっても楽しかったですよ(笑)
そういえば家の近い人は自転車通学できなかったのですが、自転車通学してて、バレて体育教官室の土間に1時間正座させられた思い出ありますね。でも自分が悪い事したと思っていたので、親には一切言いませんでしたね。親にバレたらさらに怒られるの判っていましたし。

【進路について】
小学校の頃から母にはすりこまれていたのだけど、最初は今の道に進もうなんて思ってもいませんでした。父の開業が決まった時に「俺は開業するから、お前はここを継がなければいけないぞ」と言われ…縛りはあったけど、父とは仲良かったし…あと開業してると間近で仕事ぶりを見ることが出来、尊敬できる部分もあったから…
例えば看護婦さんに対し、胎内死亡された患者さんはベビー室から一番遠い所にしなくちゃダメじゃないか、気を利かせろ、と指示している姿を見たり、この人凄いなって思ったから、自然にこの道に進んだでしょうね。

【大学に進学】
一浪して川崎の聖マリアンナ医大に。、行きなさいと言われて大学に行ったんだけど、うち甘くないですよ、大学6年の学費と生活費を計算して出され、就職したら月々いくらの返済をするように、と言われましたからね。
卒業後は、返済分の学費と食費の名目で毎月結構な金額を返済してましたね。

【勤務医として医療と関わる】

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親父は腕もよかったし、患者さんの為に一生懸命だったし「医者は患者に育ててもらうものだ」と言っていました。卒業後4年ほど研修医で豊橋市民病に…ここでは、外来が終わってそのままオペという事も何度かあり、昼飯を食べれない程忙しかったです。当時の部長先生からは色々な基礎をしっかり教わり、体で動くことを覚えました。
袋井市民Hの部長先生からは頭の動かし方を教わり、その部長先生の退職後は自分が部長になるはめになりました。当時愛知県では公立病院の女部長はほとんどいませんでしたが、静岡県は実力さえあれば男女の区別はありませんでしたね。患者さんに対し、すべて自分が引き受ける父のやり方とは逆で、私は下の若い人に経験を与えて育てるタイプでした。
婦人科の中のどちらかというと癌治療が専門で、内科と違いオペも同じ科でやるから、患者さんとは長い間関わっていくことになります。10年以上のお付き合いの患者さんは沢山おり、患者さんのお孫さんを取り上げた事もありました。母・娘・孫の三世代を診ている場合もあります。またお産は一大事、生まれる喜びもあれば、そうでない場合もある、すべてのお産は母と子、2人の命を預かる事ですから、気を抜けないですよね。母体搬送を頼む病院、受け取る病院と色々な所でを経験積めたのは良かったと思っています。今より8年前から遡る事10年ほどは、一人で年に300回(1日4回位の時も)手術をしたこともあります。当直も休みなしで交代し、365日を3・5人で回してましたね。緊張感があったからか体は頑丈で、45歳を過ぎなお、38度の熱があっても普通に手術をしていました。
32歳の時に、75歳の卵巣癌患者さんの最期に立ち会ったのですが「死ぬ前に先生に会えてよかった、先生に良い事があるように上から見てるからね」と言ってくださったことが、今でも心に残っています。

【開業医になって】
今は楽しくやってますよ。分娩がなくなったので、楽にもなりました。また、勤務医の時とは違い、時間の制限がなくなったので、相手の納得いくまで話が出来るのがいいですね。ある意味では充実しているとも思います。
女の医者だから、若い女の子も沢山来ますよ。若い人の妊娠などもあり、患者さんには色々な話をしますね…未だに袋井からも来てくれる患者さんや、自分以外の先生には診てもらいたくないと言ってくれる方もいて有難いですね。
休日は畑をやって、大豆から育ててお味噌を作ったり、ワンピースを作ったり、フェルトをやったりと物作りを楽しんでいます。でも、趣味は何ですかと聞かれたら、生きていること自体、人生そのものが趣味なのかなぁと思ったりしています。

【これからの目標】
将来やってみたい事は三つあって、仕事を辞めて遊び倒すとか、国境なき医師団に飛び込んでみるか、このままだらだら続けるか今後どうなっていくのかな~、って自分でも思っているところです。17ijima03_3

【若い人たちへのメッセージ】
どんな嫌なことも辛いことも無駄なことはなくて、絶対に後で役に立ちます。神様があなたに試練を与えてくれている、これを超えていけば次に絶対よくなる。経験を積むことによって自信が付いていくので、頑張ってほしいなと思います。

【取材を終えて】
生と死のどちらも隣り合わせる産婦人科、患者さんと共に向き合い、尊い命を救うべく努力をしてきた真理先生は本当にすごいです!生き物を育て交配させたり「とにかくちょっと面白いものがあるとやってしまう」その好奇心と探求心が敏腕なオペ技術に反映されていたのでは…
開業医の一人娘お嬢様とは程遠い、たくましい生き様。診断をためらう女姓にとって、気さくな女医先生の存在は大きく、これからも豊丘の側で長く病院を続けて欲しいと願うばかりです。 
                             (14回生 杉浦由子)

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