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鈴木一正さん(17回生)

【プロフィール】
京都芸術短期大学日本画専攻科卒業後、日本画家「星野眞吾」先生に師事。1990年の第4回青垣を初め、「日展」・「日春展」・「東京セントラル日本画大賞展」などに出品、数多くの賞を受賞。また、日本画制作のかたわら絵画教室を開き、地域の子供達を中心に絵画の楽しみを伝えている。

Suzuki_kazumasa 「誉められて自身を持てた」想い出に残る先生の言葉

質問:鈴木さんの子供の頃のお話を聞かせて下さい。
鈴木:小学校の頃体が弱くて、あまり外で遊ばせてもらえなかったので、部屋で折り紙をしたり、絵を描いたりするのが自分の遊びでした。
 また、母が習字の教室を開いており、家にアトリエがあったので、習字教室の無い日には、絵画教室として貸していて、母の勧めもあり3年程絵を習っていました。
 その頃よく親に連れられ、名古屋の美術館と百貨店に行った記憶があります。ですから、子供の頃から美術に触れる機会が有った方だと思います。

質問:将来の進路として、絵画を選んだ訳ですが、どの様な学生時代を過ごしたのですか?
鈴木:小学時代で一番印象に残っているのは、小笠原先生の「絵の事は鈴木君に聞きなさい。」と他の生徒に言ってくれたことです。この誉められた一言で絵に自信を持つ事ができました。
 小学校1年から中学1年まで、道場で剣道を習っていたので、中学の部活も剣道部に入りました。しかし、道場と学校の剣道は指導方針が異なっていたため、剣道は道場を選び、2年生から部活は美術部に入りました。
 中学時代で想い出に残っているのは、郵便局主催の年賀状デザインコンクールがあり、木版画で応募して名古屋郵便局長賞をもらった事がありました。これが初めて大きな賞をもらった経験です。
 将来の事を考え始めたのは、高校に入って1年生の終わりに進路指導があり、「大学かあー自分の得意なのは絵だから美大へでも行こうかな?」っと思い始めました。
 高校の美術部では佐久間先生にお世話になりました。

人生の恩師、星野眞吾先生との出会いとめぐり合せ

質問:日本画を目指すきっかけは何だったんですか?
鈴木:進路を美大に決めた頃、学校では教科書に少しは日本画は出てきますが、水墨画のような物で、まだその時は、油絵志望でした。
 美大の受験項目として、デッサンがあり、デッサンを習おうとした時、母が中日文化センターの日本画の教室を受講していた関係で、星野眞吾先生に習う事になりました。
 その後、星野先生の絵を見た時、小学校の低学年の頃、豊橋駅前の丸物百貨店で見た記憶がよみがえり、「あの絵が星野先生の絵だったんだ。」とびっくりした事を思い出します。
 高校3年生になり、志望校を絞って行く段階になった時、星野先生が僕の描き方を見て「油絵も良いけど日本画も良いよ。卒業してから絵描きになるか判らないけど、もし絵を志して行くのだったら、油絵をやっている人口よりも、日本画をやっている人口の方が圧倒的に少ないので、プロになれる可能性が多少なりとも有るよ。また、大学に入ってもこれから日本画を始める人が大半だから、皆が同じスタートになるから、戸惑いも少ないと思う。」と言われました。
 僕も日本画の方が繊細な表現がし易いと感じていたので、日本画をやってみようかなと言う気持ちになって行きました。
 大学の選択でも先生は、「絵描きにはブランドは必要ない。教えてくれる先生で選びなさい。」と言って京都芸術短期大学を勧めてくれました。
 今、振り返ってもこの時の星野先生との出会いが僕の人生にとってとても大きかったと思います。

質問:日本画の特徴・良さについてお聞かせ下さい。
鈴木:日本画は絵の具の特製で、色が白っぽく、発色がぼんやりしています。その発色がはっきりしない所が日本人っぽいんです。それは日本の気候・風土、わび・さびなどの精神的な物に表されます。
 また、構図に付いても大きな特徴があります。油絵はキャンパスの隅から隅まで絵が描かれていますが、日本画は何も描かれていない空間を大切にし、その空間で表現をしています。絵を見ている人がその空間にその人なりの景色を思い浮かべる事ができるのです。この手法は絵を見る人の表現を大切にしていると言えますね。

動物の持つ本能・生命力、そして感情を表現したい

質問:題材が動物と言う事なんですが、なぜ動物を題材にされているのですか?
鈴木:題材に動物を選んだのは、動物が好きと言う事もありますが、風景・生物には直接の生命感が感じられない、人物は直接の生命感があり会話も出来ますが、動物は本能だけで生きているので、直接の生命力にピュアな心で描きたいと言う気持ちになるのです。

質問:大学卒業後の絵画活動に付いて教えて下さい?
鈴木:大学を卒業する頃になって、当然まだ絵で食べて行けるレベルでは無く、「さて、就職しなければ。」となり、再び星野先生を尋ねました。
 すると、ちょうど先生の絵画教室の講師の席が空いていたので絵画教室の講師として就職する事ができました。この講師を生活の糧とし、絵画活動を継続する事ができました。
 雲の上の人である星野先生の近くにいれると言うのは僕にとってとっても幸せな事でした。先生の絵の工程を見ることができましたし、また、自分の絵も見てもらいアドバイスももらえ、自分にとってたいへんプラスになったと思います。

質問:画家になって辛い事、苦しかった事をお聞かせ下さい。
鈴木:自分ではそんなに辛い事では無いのですが、大学を卒業してからずっと日展に出し続けていて、8年間落ち続けたんです。その頃は我慢して描いていたと言う状況でした。入選しようと思えば自分の画風を会に合わせれば可能だったかもしれませんが、僕にはそれが出来なかったんです。
 その中でも自分の画風を変えない自分の許せる範囲で探りながら描いてきました。
 以前はコントラストのきつい絵だったんですが、白いソフトな優しい絵にも挑戦する様になりました。その結果入選できる様になったのかもしれませんね。

質問:目標の日展入選を果たした後、何か変わった事がありましたか?
鈴木:ある程度日展で入選していると画商さんから絵を描いて欲しいと言う話がきます。そんな時、星野先生が心配して下さったのは、画商が付くと、その画商の良い様に描かされる事が危険で、自分の描きたい物を描いていない事になり絵に気持ちが入らなくなってくると言う事です。
 先生からの助言を守り、画商に描かされる事無く、自分の好きな物だけを描くと言うスタイルを今も変えないで守っています。

ストレス社会の中、子供達が変わってきている

質問:絵画教室を開いておられますが教室の様子をお聞かせ下さい。
鈴木:昼間は4歳児から中学生までの児童を対象に、夜は高校生以上の一般を対象に教えています。
 色々な場所の教室を回っていますが、元気のある教室とおとなしい教室があるなと感じています。それが絵に表れるんです。市街を離れた所に住む子供の絵は、はつらつとした良い絵を描く子が多いです。これはストレスが関係していると思います。郊外に住む子供は学校が終わってから外で遊んで服をどろどろにして来ます。市街に住む子はおとなしく部屋で遊ぶため自然から学ぶことが少なく、それが絵に出ているのだと思います。
 また、住む所に関係なく共通して言えることがあります。それは、題材を与えないと描けない事です。今日は自由に描いて良いよって言ってもだめなんですね。僕らが教え始めた頃(20年前)はそんな事は無かったと思います。最近の子供に見られる傾向です。今の時代ゲームでも必ずマニュアルがあります、だからマニュアルが無いと出来ないんでしょう。これは大きな問題です。教室では時々、自由に描くとか落書きを描かせる事をしています。
 こういった子供達の為に、何かできる事はないか考えながら教えています。絵画教室にたいそうな事はできませんが、学習塾には出来ない事ができると思っています。中学生になっても来ている子は息抜きに来ているんですよ。中高生には自主性に任せ、無理に描かせたりしません。自分のペースで描かせる事を心掛けています。

夢は作品も師の側にいたい

質問:最後になりますが、今の夢を聞かせて下さい。
鈴木:また、星野先生の話に戻ってしまうのですが、星野先生はどの団体にも所属せず、一匹狼のように活躍されていた方です。しかも美術界の流れの転換期に名前が残っているような先生なのです。その先生の作品は美術を語る上で必要な作品です。国立美術館でも先生の作品を何点か収蔵しています。
 僕の夢は、星野先生にはとても及ばないと思っていますが、先生の収蔵されている作品と自分の作品が同じ美術館で飾られると言うのが夢です。
 大学卒業後、僕は先生の側にいられましたが、今度は作品が先生の側にいたいと言う事です。

Mugen

「夢 現」

本当に星野先生との強い絆を感じる事が出来ました。今後のご活躍をお祈りしております。(広報委員17回生加藤)

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